75Hzの読書ノート

ノンフィクション中心の読書メモです

トラウマ体験者にも、支援者にも−『トラウマの現実に向き合う―ジャッジメントを手放すということ』

 トラウマに遭った経験を持つ人と接するとき、人はしばしばどのように接すればいいのか戸惑う。躊躇う。被害者なのか、それともトラウマを生き延びた人なのか、強い人なのか、憐れむ対象なのか、世界の不条理を体現する人なのか。そういった態度はいずれもジャッジメント(決めつけ、評価)であり、その人の現実に向き合えていないと著者は語る。地に足のついた、トラウマに向き合うための心の在り方についての本。

なお、この本は「トラウマを体験した人」とどのように接するか、向き合うか、という点について主に援助者・治療者に向けて書かれている。何故なら、残念ながら臨床の現場において、トラウマ体験者が適切に受け止められていないケースが少なくはないのである。自分もこの本を読んで、改めて自身の臨床を振り返って恥じ入る点が多々あった。

 

 

ジャッジメントについて

トラウマ治療は難しい。体験者がそれをトラウマだと認識していない場合はさらに難しい。本書にも書かれている通りである。

トラウマ体験者特有の対人関係のパターンが、治療者を共感的な姿勢から遠ざけてしまう可能性である。治療者のちょっとした矛盾を追及してくる、些細なことで怒りのエネルギーを爆発させる、全体的に疑り深く治療者のことをなかなか信用しない、治療者の真意を曲解して被害者意識をむき出しにする、などという態度をとられると、人間である治療者は「守り」に入ってしまうこともあるものだ。そして自分を守るためにジャッジメントを下すことになる。p29

それではジャッジメントとは何か。特に臨床の現場では「この人は○○病、○○障害」「この人の認知パターンとしてこういうところがあります」と評価することは当たり前に行われる。通常はアセスメントと呼ばれる。このアセスメントとジャッジメントはある程度連続的なものであり、時には判別することが難しいこともある。

本書では、「ある人の主観に基づいて下される評価」ということにした。「この人はよい人だ」「この人は親切な人だ」「この人は要注意人物だ」というのはいずれもジャッジメントだし、「この状況はすばらしい」「その体験は悲惨だ」というのもジャッジメントである。p25

ジャッジメントは本来「ある人の主観的体験」に過ぎないものだが、実際にはあたかも客観的事実のように宣告され、おしつけられるからである。(中略)その「ずれ」をジャッジされる側が一方的に引き受けなければならないところが、ジャッジメントの持つ暴力性だと言える。言葉は悪いが、一種の「言いがかり」なのである。p26

 

ジャッジメントとアセスメント

適切なアセスメントは、同じような知識を持ち、同じようなトレーニングを受けた治療者であれば、個人的なバックグラウンドが違っていても一致するであろう評価であり、基本的には患者の症状、病名に関するものである。そしてそのアセスメントは、基本的には適切な治療と直結するものである。

逆に治療者はうまくアセスメントができず無力感を感じるときに、無意識にジャッジメントすることでとりあえずの安心を得ようとする。「この人はとにかく攻撃的で些細なことも突っ込んでくるのでどうしようもないです。言われたらやり過ごす感じでお願いします」はジャッジメントである。

治療者にとって、自身のジャッジメントに気づき、それを手放すことはとても有用である。それは以下の理由である。

同じ傾聴するのでも、ジャッジメントをしながら聴けば疲れるし、ジャッジメントを手放して聞けば疲れない。p34 

 ジャッジメントは上から下に押し付けられるものである。その上下関係は、必ずしも治療者によって心地良いものではない。上下関係は「治療者の言うことを黙ってきいて従う」ことを要請し、その居心地の悪さから治療者は更なるジャッジメントに走ってしまう。

一方アセスメントは対等なものである。そのアセスメントを元に、患者と共同作業することができる。それは実は治療者にとっても無理のない、疲れない立場である。

 

トラウマからの回復

筆者はトラウマからの回復について『自分自身へのゆるし』と『コントロール感の回復』の二つが重要だと書いている。実際に、トラウマを忘れて生きているように見える人でも、過去の体験について自分に原因があった、と内心思い続けているとその出来事から自由になれたとは言い難い。かといって「自分を許せるようになりましょう」と言われてそうなるわけもない。筆者が書いているように " 変化を起こそう思うのであれば、相手を変えようとしない" ことが大原則なのである。対人関係療法では、無条件の肯定的関心を抱きつつ、治療焦点の維持(対人関係という問題領域への焦点を維持し続ける)ことが、変化を起こす可能性を最大にするとしている。対人関係療法の源流である精神分析にもつながる考え方である。

筆者について

筆者は対人関係療法の専門家である精神科医水島広子である。前の記事でも紹介した怒りの扱い方についての本でもそうだったが、相手に寄り添いつつも、明晰でわかりやすい文章で書かれており、非常に読みやすく、勉強になった。

 

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