75Hzの読書ノート

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脳も言語も性的に惹きつけるために進化した−『恋人選びの心』

 

恋人選びの心―性淘汰と人間性の進化 (1)

恋人選びの心―性淘汰と人間性の進化 (1)

 

性淘汰、という言葉を聞いたことがあるだろうか。自然淘汰とは別の概念である。有性生殖する生物は、多少なりとも配偶相手を選り好みする。その選り好みの蓄積によって促される進化、その仕組を性淘汰と言う。ダーウィンが進化論を唱えたときから性淘汰についても言及されていたが、長らくその意義は過小評価されていた。

性淘汰は自然淘汰と異なる、対となる概念である。自然淘汰を引き起こす主体は捕食者も含めた『環境』である。そこでの進化は行き当たりばったりで、方向性がない。方向性がないことが自然淘汰の性質である。

一方、性淘汰の主体は同種の配偶者である。それは人為的な品種改良により似たプロセスである。一度その種において装飾形質として好まれるようになると、その形質の特性は限界に突き当たるまでエスカレートしていく。わかりやすいのが孔雀の羽根である。

筆者は脳、言語、道徳、芸術といった人間固有と思われるような特質は、自然淘汰ではなく性淘汰によって進化したと提唱する。というより、自然淘汰で発生したと考えるには、これらはあまりにも高コストで役に立たたないからだ。

 

この問題を最も際立たせるのが、脳の進化した時代背景である。脳は250万年前から10年前までに3倍の大きさになったが、しかしこの期間で明確な脳の用途は見つかっていない。脳が役立つようになったのは10万年前よりも最近におきた変化以降である(サピエンス全史における認知革命)。

自然淘汰は、生存に役立たない形質を進化させることはない。そもそも人間以外に地球上のどの生物もこれほどまでに高コストでエネルギーを消費する巨大な脳を進化させていることはない。現代までに論理や言語能力は人間の生存領域を著しく拡大させたので、脳を進化させることは合理的に思えるが、数百万年前の人類にとって巨大すぎる脳は単なる金食い虫でしかなかった。

そこで筆者が持ち出すのが性淘汰だ。人間の言語、ユーモア、芸術、その他脳によって生み出される特別な何かは、すべて配偶者へのアピール、性的装飾形質として進化した。これが一貫して本書で展開される仮説である。

 

本書ではその性淘汰を3つの要素に分解している。筆者はザハヴィのハンディキャップ理論にも大きく刺激を受けたと書いている。

【ランナウェイ理論】孔雀の尾羽のように、一度それが性的に魅了する性的装飾形質として扱われるようになると、その長さは限界まで際限なく伸びていく。尾羽の長い雄を好む雌は、より尾羽の長い子どもを産み、この形質はより強調されていく。
【感覚バイアス】古くは別の用途があった感覚受容器の好む刺激パターンが、性的にアトラクティブな形質としてみなされるようになる。
【適応度指標】適応度の低いライバルには持つことのできない特質、それが周囲に対する自身の適応度の喧伝になる。適応度の低い、余裕のない個体にはその指標をアピールすることができない(コストが高い)。だから信用に足る指標になる。

 

これらのうちで、ランナウェイ理論は有用であるものの、基本的には一夫多妻制のもとでなければ進化がおきない。また無目的である。感覚バイアスだけで説明するのは無理がある。筆者が一番重視しているのが適応度指標である。ウィットに富んだ会話、信頼性のおける道徳性、作成に多大な修練とコストがかかる芸術、こういったものは、すべて自身の適応度を周囲にアピールするためのものである。筆者は膨大な例を用いてこれを論証していく。

 

最近の進化心理学の本を読むと、ミラーの言う性淘汰の考えは当たり前のように取り入れられている。その一方、やや回りくどいと感じたり、牽強付会にすべてを性淘汰として説明しようとしているように感じる箇所もあった。

変化の激しい進化心理学の分野ではもはや古典に分類されるのかもしれない。過去の新科学におけるイデオロギーの変遷にも触れていて得るものは多かった。