75Hzの読書ノート

ノンフィクション中心の読書メモです

計量経済学はどう使われるのか−『「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明』

古典「イノベーションのジレンマ」を著者が(勝手に)アップデート。イエール大学准教授の著者が計量経済学を用いて、イノベーションのあり方について定量的に考察した本。

「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明

「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明

 

 

内容は音楽で言うなればA→B→A'のような形式で、まず序幕で背景や本書での要旨、著者の問題意識を読者と共有する。実はこの時点でほぼ解答はでているのだが、しかしそこに数字による裏付けはない。そこでBにおいて、現実の雑然としたデータから、モデルに合わせて必要な数字を抽出し、当てはめる。ここは相当噛み砕いてはいるものの、元が論文なのでかなり高度な内容も含んでいる。そしてA'の結論に至るのだが、その内容は驚くようなものではなく、Aを少しだけ厳密な表現に変えたものに過ぎない。著者も言うように、当たり前のことを当たり前にこなすのが一番むずかしいのだ。しかし、そこに数字による裏付け、モデリングがあるかないかは、とても大きな違いである。数学モデルであれば、仮想的なシミュレーションを行うこともできるし、現実が違う挙動をしたときに修正することもできる。

 

第一線の研究者が、一般向けに自身の専門分野を解説したという内容であり、それをなぜ一般読者にも伝えたいかという問題意識もはっきりしている(詳細についてについては是非本書をお読みいただきたい)。そして退屈にならないようによく構成が練られている。前にレビューした『なぜ科学はストーリーを必要としているのか』に登場した「ABT形式」にも沿っており、アメリカの第一線で研究する筆者の熱量がこもった一冊である。

hz75hz.hatenablog.com

 

顕示選好の原理 

読んでいる中では、『顕示選好の原則』という考え方が非常に面白かった。経済学では当たり前に用いられる考え方なのだろうが、全くの門外漢なので勉強になった。

「まさか新技術が成功するとは思わなかった」などというのは後付の経営学、あるいは単なる嘘である。いうまでもないことだが「私の履歴書」ほか経営者が喋っていることをそのまま信じる学者は愚かだ。人間は自分に都合のいいことしかしゃべらないから、何を言ったかではなく、実際に何を行ったかによって判断しなければならない。それが経済学者の手口である。p53

「経営者が発表した会計の数値にはいくらでも嘘が含まれるので、真のコストは他のデータから逆算する」というものである。例えば本書によく出てくる概念の一つに『共喰い効果」というものがある。共喰い効果とは以下のようなものだ。

  • 「既存企業が新しい技術を導入して新部門を設立する場合、そこで生産される新製品がそれまでの主力だった製品の売上を共喰いしてしまうので、既存企業はイノベーションに二の足を踏む」

これはイメージとしてはよく理解できるが、では、どのように計算したらいいのか。当時の経営者、経営会議から、新部門を設立する場合のコストについて情報を集める?まさか。経済学者はこのように考える。

  • 『1988年にイノベーションしたら、企業価値が500億ドル上がっていたはず』だが、実際に踏み切った既存企業は少なかった
  • →したがって既存企業にとってコスト(共喰い)は、大きかったはずだ

これをより専門的かつ数学的に厳密なモデルに当てはめると『弾力性』という概念になる。その詳細については(専門外なので正確に説明できる自信がないので)本書を読んでいただきたい。

また、おそらくこれが古典的な経済学の考え方で、むしろ自分はそれよりも先に行動経済学の本を読んでいたので、行動経済学がどのような問題意識で生まれたのか、ということもわかった気がする。

最後に読んでいて印象的だったフレーズを引用する。

創造的破壊の荒波を生き延びるためには、創造的『自己』破壊が必要である。p275

あなたは映画『プレステージ』を見たことがあるだろうか? ロンドンの奇術師が人々に「瞬間移動」の芸を披露して好評を博すのだが、実はクローン製造装置で自分のコピーを作って「移動」したように見せる、という仕掛けになっており、しかも複製元の「古い自分」を毎回ステージしたの水槽に落として水死させている、という極悪なストーリーだ。(中略)ここまでの話で何度も示されたように、生き延びるためには、一旦死ぬ必要がある。しかし生まれ変わった明日のあなたが「今日までとは全くの別人」だとしたら、それは果たして「あなたが生き延びた」ことになるのだろうか? p283

この結論自体は、言ってしまえばありきたりのものかもしれない。しかしそれに定量的な裏付けがあることがこの本を分厚いものにしている。 

 

イノベーションのジレンマ 増補改訂版 (Harvard Business School Press)

イノベーションのジレンマ 増補改訂版 (Harvard Business School Press)

 

 こちらが本書のネタ元であり源泉。一度学生時代に読んだ記憶がある。なお、邦題は「イノベーションのジレンマ」だが、原題は「The Innovator's Dilemma」。その原題に倣って本書も「『イノベーターのジレンマ』の経済学的解明」と名付けられている。

たしかに言われてみれば、ジレンマに陥るのはあくまでも経営者であり、イノベーションそのものにジレンマが内在するわけではない。自分も過去読んだとき、イノベーションそのものではなく企業の話ばかりが続くので、少し混乱した記憶がある。